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1939年
(昭和14年)
         



1月5日平沼騏一郎内閣が発足。
1月15日新橋駅 - 渋谷駅間が全通。



3月17日南昌作戦が開始される。@日中戦争

4月20日
ヒトラー50歳の誕生日
。ベルリンでパレード。
4月28日ドイツがポーランド不可侵条約を破棄
4月30日ルー・ゲーリッグが2130試合連続出場を達成。

5月11日満州国とモンゴル人民共和国の間に軍事衝突。(ノモンハン事件)

5月13日NHKが試験電波発信
7月1日日本軍がノモンハンで総攻撃を開始。第二次ノモンハン事件が始まる。@日ソ国境紛争
7月6日大日帝国海軍がゼロ戦の試験飛行を開始。
7月8日日本で国民徴用令公布。
内地では7月15日、外地では10月1日より施行。



7月27日アメリカ合衆国が日米通商航海条約の破棄を通告。半年後に失効。
8月2日レオ・シラードらがルーズベルト米大統領に核開発を促すアインシュタインの署名入りの書簡を送る。これがマンハッタン計画のきっかけとなる。@第二次世界大戦

独ソ不可侵条約締結。@第二次世界大戦

8月27日
ドイツが世界初のジェット飛行に成功。


8月28日独ソ不可侵条約締結を受けて、平沼騏一郎首相が「欧州情勢は複雑怪奇」と声明し内閣総辞職。
8月30日陸軍大将阿部信行が内閣総理大臣に就任。


9月1日ドイツがポーランドに侵攻。これに対しイギリスとフランスが3日に宣戦し、第二次世界大戦が勃発。


9月4日日本の阿部信行首相が「欧州戦争には介入しない」と中立を表明。
阿部内閣発足の2日後、9月1日に第二次世界大戦が勃発。阿部は、ドイツとの軍事同盟締結は米英との対立激化を招くとし、大戦への不介入方針を掲げたが、陸軍の反対もあり、翌1940年(昭和15年)1月15日に内閣総理大臣を辞した。

9月4日
ドイツに対するイギリス空軍の攻撃が開始。

9月5日アメリカ合衆国がヨーロッパ戦線での中立を表明。

9月18日日本で九・一八停止令(「賃金統制令」・「価格等統制令」)が公布され、賃金・物価が同日の水準で固定化される。
9月19日国家総動員法に基づき、物価・家賃・賃金などを1939年9月19日の水準で凍結させる「価格等統制令」「地代家賃統制令」「賃金臨時措置令」「会社職員給与臨時措置令」(9・18ストップ令)を閣議決定。

12月1日白米の販売を禁止。コメの消費量を抑える目的で、以降、七分搗き以下のコメが流通することとなった。


12月15日映画『風と共に去りぬ』公開。